毎日生徒たちに勉強を教えながら
そろそろしっかり伝えていかないと
いけないことがあるので
新学期が始まれば随時オリエンテーションで
話していこうと考えているネタです。

今日のネタのテーマは
「考える」ということです。

「考える」のは生きていくうえで絶対に必要

人間は普段から
“正解のない問題(状況)に対して、自分で判断し考えた答えを出す”
ということを無意識のうちに行っています。

例えば、日曜日の朝。

今日は学校も部活もないのに
朝の7時半に目が覚めた。

もう一度眠りにつくか、ここでスッと起きるか…。

あなたなら、どうしますか。

正解はありません。
その答えは、その人の判断に委ねられます。

毎日は小さな選択肢の連続です。

だいたいは選択肢のどちらを選んでも
道が途切れてしまうということは、まずありません。

しかし、この小さな選択肢の中にも
「おそらくこっちの方がいいだろう」と
簡単に判断できる場合もあります。

その小さな選択肢の判断を誤り続けると
自分の進みたい方向の道から外れる可能性もあるので
注意しておかなくてはいけません。

そしてその
“正解のない問題(状況)に対して、自分で判断し考えた答えを出す”
内容が、徐々に重みを増してきます。

例えば、受験など自分の進路を決定する場合です。

自分の進路を決定することを
自分で考えずに、他人に完全に委ねるのは危険です。

他人からアドバイスをもらうことは
大いに結構です。

しかし、そのアドバイスを
鵜呑みにせず、一度自分でかみ砕いて考えることが必要です。

重要な問題に対して「考える」ことが浅いとどうなるか。

…どうも。

校舎長のオダチです。

ここは、私の実体験から皆さんに
お伝えさせて頂きます。

私は中学時代は本当にふざけた中学生でした。

当時の自分とは絶対に友達にならないと
自信を持って言えます(笑)

模試はそこそこ出来ていましたが
内申点が非常に低く(←理由はご想像にお任せします)
いつも親には嘆かれていました。

そんな私が自分自身の進路を決定するときに
相談したのが、当時通っていた塾の先生です。

私が自分の進路を決定するときに考えていたこと

つまり高校で何をやりたかったというと、

①楽しい高校生活を送りたい
②そのために地元(石切)を抜け出したい。
③部活なんかもやりながら、男女みんなと仲良くやりたい。

という恐ろしく適当なことを考えていました。

相談した塾の先生は、当然私の模試の成績や
通知表を見ながらアドバイスをくれます。

塾の先生が私に勧めてくれた高校は
大阪市内の有名私立高校でした。

高校の特徴として真っ先に挙げられるのが
男子校である。

ということ。

私は何も考えず、塾の先生に言われた
その高校を受験し合格しました。

入学式の日、真新しい学ランに身を包み
電車通学する私はドキドキしていました。

田舎を抜け出して、これで楽しい高校生活を送れる!

と思っていましたが
私が入学した高校は、大阪府下でも当時有名な
超マンモス男子校

1学年が27クラスあり、
全員男!!
という(ある意味)強烈な環境でした。

入学式の日は
同学年1000人の男子生徒
(※当たり前ですが女子生徒はゼロです)

そして数日後の始業式では
高等部3000人と、
中等部500人の
男子生徒
(※当たり前ですが女子生徒はゼロです)
私の周囲にいました。

しかも当時の高校は、
文武両道を掲げたスパルタ教育がウリ。

野球部は甲子園の常連(当時)で
プロ野球選手もガンガン出していましたし

バレー部は春高で優勝経験もありました。

そして我々のコース・クラスは
「とにかく勉強して、全員国公立大学合格だ!
なるべく、京大・阪大・神大を目指せ!!」

という方針が固められており
毎日8時間授業&土曜日も授業

私が部活を、ゆるーくこなす時間は
どこにも存在しませんでした…。

私が高校時代にやりたかったこと

①楽しい高校生活を送りたい
③部活なんかもやりながら、男女みんなと仲良くやりたい。

は、入学後3日で
ものの見事に打ち砕かれたわけです。

高校の選択を失敗だったとは感じていません。

周囲から「女子の気配」が消えたことで
良かった部分も多々あります。

中学校時代、素行が悪かった私を
有無を言わさぬ鉄拳制裁で真っ当な方向に
軌道修正して頂いたのは高校の先生方のおかげです。

塾の先生も、塾の先生なりの良心で
私の進路のアドバイスをしてくれたのも
間違いのないことです。

ただ一つ、
あの時の自分に伝えたいのは

自分の進路を、きちんと考えたか?

ということです。

進路だけではなく
これからの人生において

「正解はないが人生においてとても重要な問題の
答えを探さないといけない」
タイミングは必ずやってきます。

正解はありません。

しかし、「考える」ということを放棄したり
「考えるレベルが浅い」と楽しい人生を
送れなくなる可能性が高くなります。

正解のないものを「考える」こと

普段のクラブ活動なんかでも、
正解のないものを考えるタイミングに
結構出くわしているものです。

例えばPK戦のキッカーを任されたとき
あなたはどこに蹴りますか。

例えば自分が野球部で
強豪私立との対戦で勝っている。

9回2アウト、相手チームの攻撃。
サヨナラのランナーも塁にいる。

あなたがピッチャーなら、どんなボールを投げますか。
あなたがキャッチャーなら、どんなボールを要求しますか。

答えは、その時の状況で変わると思います。

この正解のない問題の答えを探す方が
よっぽど難しいと思います。

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勉強には、答えがある

生徒の皆さんが人生を過ごしていくにあたって
「正解のないもの」を考えないといけない
タイミングはたくさんあります。

勉強には「正解があります」

「正解のあるもの」の答えを考えて
導き出すことの方が、おそらく簡単です。

勉強をやる理由は
楽しく生きるための、「考える力」を養う
ことだと私は考えています。

勉強の内容ではなく
勉強を通じて考える練習を生徒には
積ませたいと考えます。

私の後悔や失敗を踏み台にしてください

私が生徒にいつも伝えていることは
「俺の失敗や後悔を踏み台にしろ!」
ということです。

生徒が将来楽しい学校生活、人生を送れるように
成績をアップさせ、受験の戦略などの知識を伝え
競争に勝てるようにする

それしか考えていません。

いよいよ新学期が始まりますが
ここから英知ゼミも私も本格的に始動します。